小児難病の子どもらを含めた終末期医療としての芸術プログラム

主旨

小児難病、並びに他の理由で、最期の時を迎える子どもら、人々に、高貴深遠な芸術を体験していただく。
その体験が死出の旅路の、良き道標となることを願う。
担当芸術家は当代一流の人材から選ぶ。

欧米では終末期医療や認知症緩和に音楽療法が使用されて久しい。
本プロジェクトと音楽療法との最も大きな違いは、以下の通り:

事例

本趣旨による当財団主催の組織的・計画的な活動は2016年8月の時点では、未だ行われていない。
以下は川手鷹彦の個人的な経験より

事例1

1976-77年アメリカ合衆国ノースダコタ州首都ビスマークに於いて、プロテスタント教役者(牧師)の依頼により、老人病棟の出張ミサの音楽士として同行した。その際人生の最終章に於ける精神性・芸術性の重要性を実感した。

事例2

2012年某総合病院小児病棟にて、小児癌など、生命の光眩い子どもらを見た。
中でも衝撃的だったのは、特別室に完全看護された、感覚器官の欠落した男児と付き添う母の姿だった。
扉を開けた途端、そこは地上とは思えない静謐なる空気が漂っていた。
男児は医療機器などから延びる管に取り巻かれていたが、徐々にそれらの管もその先にある器具や機器も、部屋全体がすべて男児に属しているように見えてきた。
それは文化人類学等で云う「神秘体験」、心理学的に云うなら「無意識領域に於けるイマギナチオーン」に当たるか、それに近いものであった。
私は跪きこそしなかったが、その子を前にして自分の卑小さを恥じた。
その後母親と会話をした。
母の献身は凄まじいもので、男児の誕生以来殆ど床で寝たことはないという。
完全看護なので休む時間は取れるはずだが、万一その間に瞬時に臨終が訪れるかわからないので…とおっしゃる。
それ程の危うさと儚さが、却って男児の高貴さを裏打ちしているのだった。
再会を約し、私は部屋を出、現世に戻った。
男児の死が訪れる前に、持てる力を振り絞って男児のために物語りを捧げたいと願ったが叶わず、私を招聘してくださった小児科部長は病棟を去り、合わせて計画も夢と潰えた。

就寝前の昔話は健やな睡眠の滋養を促す。
死期に於ける物語りもまた、死後の船旅の水先案内になるだろう。

事例3

2015年10月25日(日)、東京世田谷成城の Gallery Square にて、川手鷹彦の恩師村井実のために書き下ろされた戯曲『ソクラテスの最期〜霊魂の不死について〜』が、村井実ご本人の前で上演された。
村井実(むらいみのる1922年3月6日 - )は教育学者、慶應義塾大学名誉教授。 ソクラテス〜プラトンの教育思想に詳しく、日本のアカデミズムだけでなく、現場の教師たちにも多大な影響を及ぼした。
現在は世田谷区成城の老人施設にて静かな晩年を過ごしている。
過日訪問した川手は、自室にパーソナルコンピュータを設置し*1その横に荘子の書を広げた光景を目の当たりにし、齢九十を越えて哲学教育の真実に迫らんとする姿に打たれた。
実は川手も多数の弟子のひとりであり、欧州留学の道とすべき研究分野までも示していただいたのである。
「現代に生きるソクラテス」としての村井に、欧州で培った戯曲執筆・演出・新たなソクラテス像を駆使して、老いて尚荘子研究に挑戦する「知」の偉人に、気高き人生最終章を祝い上演した。

観劇後にご本人から頂いたご感想より
「かつて若い頃にソクラテスを学びに僕のところへ来た川手鷹彦が、気づいたらソクラテスの劇を作って僕に見せてくれる。とても不思議なことだね。素晴らしいこと、驚くべきことだね!」

*1 我が国インターネットの父とされ、英語圏では「インターネット・サムライ」の異名を持ち、英語中心のインターネットを多言語へ導いた村井純はご子息である。

事例4

2016年8月3日(水)10:00〜 と 15:00〜 の二回にわたり、北海道伊達市の老人施設「チエロだて」に於いて、川手鷹彦の実母美津江(大腸癌により余命僅か)を含む施設利用者・施設職員・担当医師のためにバッハの楽曲が演奏された。
演奏はヴァイオリニスト野澤健太郎である。
演奏曲目は

いずれもJohann Sebastian Bach の作品である。
加えてアンコール曲として川手鷹彦作曲による『息子から母へ』が演奏された。

付添いスタッフ(看護師)に母の語った感想は、
「薄い衣を纏ったような感じ
今までこんな芸術体験をしてこなかった
人生で何かを乗り越えてこないとわからない感覚なのかしらね
(日常の)慌ただしさから『ふと立ちどまって』という感じ」

生命の最期と新たな旅立ちへの、良き手向けとなった。

賛同者

野澤健太郎 ヴァイオリニスト


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